自担がいないコンサート

アリーナ、前ブロックの5列目。

 


用意された席は、いわゆる神席でした。

大喜びして、中へ。会場に入ると目の前にそびえる、どーんと大きいセット。

 


嬉しかった。はやる気持ちと、開演5分前からくる謎の緊張感。じわじわ増え始める、緑色のライト。

 


わたし、好きじゃなかったんです。地元だから緑つけるとか、「茶畑」とか、別に強制ではないけど、なんていうか義務みたいで。

けれど、会場で生でその「茶畑」を見て、去年初めて地元でコンサートができたときに喜んでいた、いちばん大好きな彼の顔がいちばんに浮かびました。今日彼がステージに立つことはないのに、ほかのメンバーのファンを含めてほとんどの人が、会場に来ているかも分からない彼のために、制御されているわけでもないペンライトを緑色にしている。

嬉しかった。去年嬉しそうに開演前のエコパアリーナの席に座って、「みんなのおかげ」と目を細めていた彼がこれを見たら、なんて思うんだろう、と思いました。そして、いちばん好きなアイドルのいないコンサートに行くか迷っていた自分が、この景色の一員になれたことが、嬉しかったんです。どんな形であれ、会場前にこの景色が在ったことは、本人の耳に届くかもしれないから。

 


そして、開演。

 


ラクリだらけのテンダネス、すっぴんKISS、ププンプンプン。全部全部、大好きな曲。けれどわたしがいちばん最初に感じたものは、なによりも、“寂しさ”でした。

 


皆さん、元気ですか。

会いたかったですか。

ぼくたちも、会いたかったです!

 


元気では、なかった。

会いたかった。

もちろん、4人にも会いたかった。

けれどもっともっと会いたかった。

きっと、私の自担もあのステージに立ちたかっただろう。

 


なのに。どうして、いないんだろう。

ファンクラブに入って、初めて自分の名義で当てたコンサート。こんなに前の席で、肉眼で全部見られるのに。

 

あれから若干4ヶ月が経って、自分の中で片がついたと思っていた悔しさとか、悲しみとか、葛藤が首をもたげてきてしまったんだと思います。そんなの、4人に失礼だと分かっていました。でも、本人たちに久しぶりに会って、去年楽しくライブで歌っていた曲や、5人で歌っていた曲を目の前で聴いて、思い出さないなんて無理な話だったと思うのです。

 


曲は進み、アルバム曲へ。

 


そもそも最初から4人の歌声だった曲だったのもあって、純粋に楽しめました。

 

とにかく、構成がよかった。

 

人生のPAGEになぞらえて、それにちなんだ曲を披露していく歌順。切ないストーリーテラーのすぐあとに、得意のトンチキダンスと、ランドセルを背負って、大縄大会。


マリウスのソロはとにかく映像が素晴らしくて、とてもじゃないけど一度では全部楽しめない、何度も何度も、映像全部の表情のマリウスが見たくなる、可愛らしい曲。

風磨くんのソロは、大人なら分かる寂しさを歌っていて、聴いていて落ち着くのに、ちょっぴり苦しい。映像で彼の幼少期が写ることで、よりグッと歌詞の世界観に濃さが出ていました。

勝利くんのソロは、歌詞と演出が見事にマッチしていました。途中ジュニアの子が傘を持ってきて、置いてくれるところがあるんだけど、「雨が止んだから傘を閉じて置く」それは最後に「そばにいて」と素直になる部分を表現していたのかな。

中島健人のソロは…なんというか真骨頂。彼の闇が垣間見えました。最初に普段の明るいケンティーが出てくる部分が、あからさまに裏と表、という感じ。とにかくダークで、怖いと感じる人もいたのではないかな…。

 

 


とにかくまあここまで、最高だったんです。

MCも相変わらず面白くて、さっきまで泣いていたことも忘れるくらい。

SexyZoneらしい、全力でふざけて、全力でカッコつけて、全力で魅せる素晴らしいセトリ。

 

SexyZone、らしい。

 

でも、なんていうのでしょうか、自担がいないことで、SexyZoneらしいセトリと、おふざけと構成なのに、なにかSexyZoneとは別の何かのコンサートに来ているようなかんじと、そして何より、寂しさはずっと拭えなかった。涙は止まったけれど、楽しいけれど、違和感のようなものを感じていました。

マリウスが弄られて、ふまけんがふざけて、勝利くんが突っ込んで、…で…

足りない、というのとも違う、そもそも自分がこの空間にハマらないような、違和感。


とくに、君がいた夏に…はだめだったなあ。

あれは夏の思い出の中の彼女を思って歌う歌だけれど、わたしは夏にいた彼のことを思い出し、一人また、泣けました。涙腺弱いね。

24時間テレビやってたとき、彼も来年もここに立つと思っていたんじゃないかなあ。全てのお仕事に一生懸命取り組んで、演技もバラエティも、ブログで私たちに嬉しそうに報告してくれていたな、あれもあれも、全部夏の出来事だったんだな……。

我ながら、いつまで引きずるんだろう。


そこから、ずっとそんな違和感や寂しさを引きずったまま、再びアルバム曲の流れへと突入。

ぼ~~っとしていたら、突如始まったドキュメンタリー番組。

そう、「ゼンゼンカンケイナイ」。

 

…SexyZoneって、天才かなと思いました。何より本人たちがいちばん楽しんでいた、氷室京介とタトゥーとX JAPANゴールデンボンバーが混ざったようなバンド四人組が、ず~~んと沈んだ気分を吹き飛ばしてくれました。ずっとうだうだと悲しむのがもったいなくなるくらいに、楽しい演出だった。

この時、さっきまで感じていた違和感や寂しさを忘れるくらい笑いました。

 

そして時間は進み、エンドロール。

 

4人がレッスンをしている映像が大きなスクリーンに映ります。

その時、気がつきました。ああ、4人は私たちファン以上に、「足りない」、「そもそも違う」みたいな感じを乗り越えてきたのかなあ、と。

そしてエンドロールの最後、アニメーションで4人が映ります。

「今回、頑張ったのは4人だから4人しか描かれてないんだろうな、当然だな」と思った、その瞬間。

 

カシャ、というカメラのシャッター音とともに、画面の右下から飛び出した男の人。

その人が横に並ぶことは、なかった。まだ横に立てるか分からないからだと、思います。

でも、最初からいたんです。

いなかったから違和感を感じ、寂しい気持ちになっていました。けれどそもそも最初から、フレームの外で、4人のすぐそばにいたんです。

 

自分が感じてきた負の感情が、消化されていくような気持ちになりました。もちろん、寂しいという気持ちは消えないけれど、違和感みたいなものは消えていくような気持ちになりました。

4人なんかじゃなかった。

いないけれど、ちゃんといた。

 

わたしは綺麗事は嫌いです。だから、ステージにはもちろんいなかった。けれど、きちんと存在していた。4人のステージではなかった。

自担がいないコンサートではなかった。

 

そして、アンコールの「いつまでもいつまでも」。


健人くんが唯一、はっきりと口に出して「5人で届けます」といった曲。

きっと、静岡公演ということもあり、間違いなくいつも以上に、みんなの心の中にいた彼。

曲中、瞳が潤んでいた勝利くんはずっと心の中に彼の存在があったのでしょう。

 

「僕より僕のために泣いて

笑う、大事な仲間と出会うから」

「ひとりじゃないことだけは忘れるな」

 

この曲を最後にした意味。

5人目の彼がフレームの外から飛び出したあとに歌う、「SexyZone」と「いつまでもいつまでも」の意味。

ありがとう、SexyZone。きちんと伝わりました。

 

最後の挨拶で勝利くんがほぼ初めて言ってくれたことが、わたしは今日で1番嬉しかったです。

「また戻ってきます。静岡ですから。あいつと一緒に」

 

ここまで4ヶ月。ほとんどその「あいつ」の話はしたことがなかった。声が震えていた勝利くんは、どれほどの想いでその言葉を口にしたんだろう。本当に本当に嬉しくて、まさかわたし、コンサートで肩を震わせて泣くことになるとは思いませんでした。

 


自担がステージにいないコンサートは、そりゃあもう寂しくて、悲しくて、楽しみたくても楽しめない部分もそりゃあありました。

けれど、それ以上にもっと楽しくて、何にも考えずに笑顔でいられて、メンバーからの愛を感じる部分もたっくさんありました。

 

そして何より、いなくないから。

綺麗事みたいになるけれど、ステージにはいなくてもきちんといます。存在しているから。


会場に行っても、ステージに自担がいない、なんて、経験する機会がないなら、もちろんしなくていい経験だと思います。自担には元気に、何にも苦しむことなく笑顔でいてもらえて、その状態でステージに立てるのが1番だから。

 


だからいい経験だなんて思いません。

 

けれどこの気持ちが、後から人生の数ある経験の中の1ページになる。

3年日記帳に書きます。緑色のバラのシールがある、あの太い本に。


待っていてほしかったとか、わたしの好きだったグループじゃないみたい、とか、そういう悲しい気持ちは、コンサートに行って、なくなったような気がしています。

 

何より、4人が自分がいちばん大切に想う彼を大切に想ってくれていることが伝わったから。この人たちなら、いつまでもいつまでも、彼を待っていてくれるだろうと感じたから。

 

 

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